あなたに見えてる沖縄は、見たままのものとは限らない
やまぬ疫病
大国の難癖で始まる戦争
その戦争のせいで経済が混乱
その戦争のせいで迫る脅威
選挙期間中の暗殺
その暗殺批判ほったらかしの宗教を巡る諸々
厄介事だらけの2022年でしたが、年の瀬はせめて明るく。
那覇の中心部で開催中「くもじイルミネーション」
まずは街路樹を飾る沖縄タイムスの本社前から。
2022年・令和4年5月15日で沖縄復帰(返還)50周年。
いろいろ思うところはあるでしょうけど、各所の世論・意識調査では「復帰してよかった」というところです。
しかし…
復帰の日の前日、5月14日。
復帰50年の前日の沖縄の国際通り。左も右も沖縄をイデオロギーのおもちゃにして騒ぐんじゃねぇよ。 pic.twitter.com/RZcAsFREsk
— まさや (@Masaya_ok_jp) May 14, 2022
COVID-19/新型コロナウイルスの新たな変異株「オミクロン株」。
デルタ株を含む従来株よりは重症化しにくいとはいわれてますが、感染力の高さが特徴。世界各地でそれまでを上回る感染が確認されてます。
ここ沖縄でも、昨年は1日あたり最多は800人台でしたが、2022年1月は1000人台も珍しくないです。これを書いてる時点での最多は1月15日の1829人。
「まん延防止重点措置」が適用され、街の人通りも減りました。
(写真は1月16日の国際通り久茂地側)
沖縄での流行状況ですが、県内初確認が基地従業員で、同時期に基地内でクラスターが発生し、また検疫体制が緩くなっていたことから「米軍悪玉論」がみられます。
知事が明確に批判したほか、1月23日投開票の名護市長選でオール沖縄の支援を受けた候補者が、告示日向けのTwitterでのアピールで「米軍コロナ」と言った程(のち謝罪)。
ですが、本当に「米軍のせい」だけなのでしょうか。
※注意:米軍擁護はしません。その上での話です。
ワクチンの接種がある程度進んだところにオミクロン株登場で、新型コロナもまだ不透明。ほかにも暗い、ネガティブなニュースがいろいろ。
ですが、陰鬱なままではねぇ。
暗い世相に灯りを。
那覇の中心部で「くもじイルミネーション」。2年ぶりの開催です。
COVID-19/新型コロナウイルス感染症による緊急事態宣言が適用されている沖縄県内では、大型商業施設の土曜日・日曜日休業の要請が出されてます。
そんな中、13日に「現場」を見る機会があったので、歴史の記録のひとつになるのかな、と記録。
ここは、那覇メインプレイスの1階エディオン側から2階へ上がるエスカレーター。エスカレーターは止められ、2階の照明が若干落とされてます。
土日休業要請を受けて、サンエーは一部の大型施設(浦添パルコ、メインプレイス、宜野湾コンベン、経塚、西原、具志川)で食品と一部売場を除いて休みにしました。メインプレイスは1階の食品売場、化粧品売場、エディオン、東急ハンズが営業してました。2階はクローズです。
とはいえ、3階より上の駐車場に車を置く客は、エレベーターを使わなければどうしても2階を経由します。エスカレーターのところに仮設の衝立が設置され、一部シャッターが下りてました。
でも、2階の照明は完全には消してないんですよね。シャッターも一部だけ。
暗くなってしまうのを避けようという心遣いでしょうか。
なぜか階段の方はシャッターがどーん。
現在の緊急事態宣言は6月20日まで。
沖縄での陽性報告は、6月14日は54人と約ひと月ぶりに100人を切りましたが、月曜発表は少なくなりやすい週末分ですし、病床使用率など油断はできません。
引き続き個人でもできる備えをやりつつ、ワクチンの接種ができる状況なら行きましょう。
過ぎた話ですが、2021年5月、英国のスコットランド議会の選挙があり、第1党となったスコットランド民族党(SNP)など英国からの独立を志向する政党が過半数を占めました。
SNPは独立を問う住民投票を再びやろうと呼びかけてますが、英国は実施に否定的です。ちなみに独立を問う住民投票は2014年にも実施されましたが、この時は反対多数。
さて、なぜこの話をするのか。
(ここに長年来ている方なら察しはつくでしょうけど、初めての方もいるはずなので)
COVID-19/新型コロナウイルス感染症の流行を受けた緊急事態宣言。
政府が1月に出した宣言は、2月末で東海・関西・福岡6府県が解除され残りは首都圏です。
一方、沖縄では県が独自の緊急事態宣言を出してますが、こちらも2月いっぱいで解除。
解除といっても、病床状況や1日あたりの陽性報告数の基準によるので、ワクチンの接種はこれから。引き続き備えて用心を。
さて、そんな2月に那覇の中心部、国際通りを歩いてみます。
国際通りの西の端、沖縄ツーリスト本社付近。
休業状態の飲食店や土産屋多数。
東方ネタ看板なアニメグッズ屋付近。ここもシャッター下りてる店が多いです。
観光業界は生き残りに必死。そろそろ地域縛りかけてでもGoToトラベル再開していいのでは?
県内総生産がすごく下落するレベルで影響しますから。
むつみ橋交差点。
夕方の観察だったので学校帰りの中学生や高校生はいましたが、やはり人通りはまばら。
引き続き感染予防をやりつつ、経済もしっかり回していきましょう。
買おう、飲もう、食べよう(持ち帰りや出前、通販も活用して)
6月23日は慰霊の日。
1945年の沖縄戦で組織的戦闘が終わった日とされています。
さて、COVID-19/新型コロナウイルスの影響は慰霊の日にも出てます。
各地の慰霊碑での追悼行事は軒並み縮小か中止。
沖縄県主催の追悼式の規模が縮小され、参列は県内の招待者のみ。総理の出席もありません。
その県主催の追悼式、当初はもっと小規模なものとされ、会場も例年の場所から、同じ摩文仁地区の国立沖縄戦没者墓苑で実施する予定でした。
ところが、これに対して反発の声が出ました。理由は「国の施設で追悼式をやるのはいかがなものか」「住民の犠牲を天皇・国家のための殉国死と追認する」というもの。
沖縄戦では日本軍が住民を守らなかった、それどころか住民を殺した事例もありました。それをもって「軍隊は住民を守らない」という主張もあります。ですが、国立の施設で追悼式を執り行うことが殉国死追認とイコールなのかというと、正直わからない点もあります。もしかして、追悼よりも「軍隊は住民を守らない」や日本不信といった主義主張、果てはイデオロギーが無意識のうちにあるのでは、とも思えます。
それに、今回は新型コロナウイルスの感染防止という事情があったわけですからね。ちなみに、緊急事態宣言が解除されたことも、追悼式の会場が国立戦没者墓苑から「いつもの場所」に戻った背景かと。
ところ変われど、追悼の心、平和を願う心は変わらないはずです。
そしてそれは、慰霊祭ができない、平和の礎に行けないけど…という人々も。離れていても、平和を願う心は変わりません。
ついにこの時がKitaca。
2020年3月10日。
Suicaと、PASMOなどSuicaと相互利用できる交通系ICカード・電子マネーでゆいレールに乗れちゃいます。
(写真は沖縄限定SUGOCA)
沖縄で交通系ICカードはゆいレールと本島の路線バス4社で使える「OKICA」がありますが、Suicaなどの既存システムとの互換性なし。観光客が多いnimocaかわらず沖縄で独自規格かと批判され、なぜ独自規格かのTOICAけへの答えが、Suica互換にしようとしたらコストが高くつき独自規格の方が安上がりという何ともはや…な状況でした。
それが、Suicaと互換のカードが使える形で不便がひとつ解消されました。
観光客にとっては空港駅の切符売り場に並ばず行動がはやかけん。
観光客向けのお助け情報もある記事を紹介しますね。
あとはいつバスで使えるようになるか。
2月になりましたが、1月のこの話は記録する必要があります。
1月の琉球新報
年明け早々に「沖縄・琉球独立論」つながりな話が出ましたね。
キーワードは「カタルーニャ」。
【おしながき】
1◆前州首相インタビュー
2◆カタルーニャの連載
3◆記事に見える琉球独立派の影
4◆単純な対比はできない
前州首相インタビュー
1月5日。カタルーニャ州のカルラス・プチデモン前州首相のインタビューが1面トップに載りました。大きい見出しは、前州首相の発言から取ったと思われる「民意に耳傾けないのは謝り」。
カタルーニャの「スペインからの独立」の民意
沖縄の「辺野古新基地反対」の民意
民意を尊重しろというわけです。
ページをめくると、沖縄とカタルーニャの類似性、カタルーニャの歴史、自己決定権をめぐる「沖縄との連携」といった話です。
カタルーニャの連載
プチデモン前州首相のインタビューが載った翌日から、連載が始まりました。
タイトルは「民の思い背に 自己決定権の道標 カタルーニャと沖縄」。19日までの9回。
内容は、2017年にあったスペインからの独立を問う住民投票のあとのカタルーニャでの動きと現在の状況がメインです。
前州首相をはじめとする州政府幹部への訴追や、カタルーニャでの独立運動の現状、独立論やカタルーニャに対するスペイン国内でのヘイトスピーチなどです。
記事に見える琉球独立派の影
インタビューと連載を読むと、沖縄・琉球独立論を追っている人ならピンとくる名前が出てきます。
友知政樹
沖縄国際大学の教授です。記事では「研修でカタルーニャに滞在中」とあり、プチデモン前州首相とのインタビューの仲介もしています。
大学教授の肩書きで出ますが、友知教授は、沖縄の日本からの独立を目指す団体「琉球民族独立総合研究学会(通称、独立学会)」の共同代表のひとりです。
そうそう。インタビューと連載の担当記者は、新報の記事で「沖縄の自己決定権・琉球独立」といえば…という人でしたね。
単純な対比はできない
一連の企画の記事は、「民意の尊重を」「沖縄のことは沖縄が決める(自己決定権)」という考えが根底にあるのでしょう。
しかし、沖縄とカタルーニャは単純に対比できないと思いますね。
沖縄は基地の設置という安全保障・防衛(国防)政策のひとつの話。
カタルーニャは国家独立という話。
政策のレベルが違います。それを「民意を尊重しろ」の1点でくくるのは強引ではないでしょうか。
ましてや、基地問題の打開、新基地阻止で自己決定権の行使となると、独立論にもつながる可能性があります。しかし、今の沖縄で独立しようものなら、経済、生活、安全保障といろいろな面で自殺行為。
現状、沖縄で独立論はほとんど支持されていませんが、油断できないですね。
2020年・令和2年になって早々騒がしい沖縄。その理由はCSF(豚コレラ)の発生です。
1月15日時点でうるま市と沖縄市の計4施設で確認。殺処分、消毒、移動規制など対処が進められてます。
畜産業界は一大事。ウイルスを拡散する媒介になってはいけないと、闘牛大会も中止になる程。
そうなると、肉の卸売り界隈や飲食業界も大変なるはずよ。豚肉(特にアグー)の入手難による値上げや風評被害などなど。
でも、CSFのウイルスは人体への影響はないとのこと。関係者以外が豚舎に近付いて媒介にならないように注意すればいい。
それなら、消費者レベルでできることは食べて応援?
いや、その豚肉が沖縄産じゃない可能性もあるけど。
でもね、食べることで金回して業者が少しでも元気になるのなら。
那覇で人気の食堂のひとつ「三笠」のとんかつを添えて。
とんかつ以外に、しょうが焼きやラーメンのチャーシューもいいよね。
豚の産業がぶっ倒れないように。
平成31年から令和元年へと変わった2019年。どのような年でしたか?
論争、紛争、災害、吉報、悲報いろいろ。
そこで、今年を振り返ってみましょう。丁度重大ニュース(十大ニュース)とか出る頃合いですし。
コンセプトは「沖縄をマニアック視点で」。
【おしながき】
沖縄2紙のトップ10
まずは参考値として、沖縄の主力2新聞のトップ10ニュースをおさらい。
1 首里城火災
2 県民投票
3 辺野古
4 オリオンビール買収
5 観光客1000万人突破
6 ゆいレール延長
7 米軍の事件事故
8 西武山川2年連続本塁打王
9 国政選挙オール沖縄連勝
10 組踊300周年
1 首里城火災
2 県民投票+国政選挙オール沖縄連勝
3 観光客1000万人突破
4 ゆいレール延長
5 オリオンビール買収
6 セブン・パルコ進出
7 人間国宝
8 西武山川2年連続本塁打王
9 米軍の事件事故
10 宮古と石垣の地方自治いざこざ
首里城が1番は当然。
ぱっと見の印象、タイムスは「堅苦しい」。辺野古関連が連続で上位に来るし、セブンがランク外だし。新報はセブンが入ってるけどピンとこないものもある(人間国宝は伝統芸能分野なので価値は相応にあるけど)。
炎上した首里城の再建へ。あちこちで動きがみられます。
それは政治の世界においても同じ。
でも、よからぬ考えを巡らせる方々もいるようです。
火災から間もないタイミングで“炎上”した記事がこちら。
首里城火災で政府与党、異例のスピード対応 「政争の具にしてはならない」(2019.11.3:沖縄タイムス)
政府のスピード対応に、野党(文脈からして国政の方)「辺野古や選挙対策の狙いもあるのではないか」ってねえ、この状況で言うことかいな。
ところが、それを上回る主張が出てきました。
【おしながき】
主張した人は「独立派」
首里城の再建について有識者に聞く、琉球新報の連載「首里城再建 識者の見方」の2回目、2019年11月10日。
タイトルは「「日本の中の沖縄」を懸念」(ネット版では「日本の中の沖縄」という構図を懸念)
聞いた人は、琉球民族独立総合学会の親川志奈子共同代表。
日本から独立しようとする勢力のひとつ、通称「独立学会」が出てきましたか。
読んでみて、ひっかかった点をいくつか評してみましょう。
日本のナショナリズムに取り込まれる?
国に再建の支援を要請に行くことになるかもしれないが、琉球が日本のナショナリズムに取り込まれてしまうことにならないか。政府は沖縄の日本復帰50周年を念頭に置いて沖縄との対立や溝をどういう形で埋めていくかが念頭にあるはずだ。首里城復元を通し「日本の中の沖縄」という構図に収められないかという懸念がある。
国の支援を受けて復元をするということ自体が、日本に取り込まれるという理屈。お金が出るということも含めてなのでしょうけど、それをもって日本化といえるのでしょうか。1980年代からの復元は、親川代表にとっては「琉球人の首里城ではなく、日本の首里城」に見えるのでしょうか。
国内のほかの都道府県の人がもつ郷土愛と同じように、沖縄県民も「琉球・沖縄」を誇ることはできるはずです。
日本から離脱しないと保てないアイデンティティって、何でしょう。
首里城が「琉球併合の象徴」?
琉球併合の象徴として首里城は同化政策に利用された。沖縄戦では日本軍の司令部が置かれたことで焼失した。今こそ、国の道具ではなく、琉球の元に戻し、自分たちで復興していくべきだ。
首里城が同化政策に利用されたとは、どのようなことでしょうか。
記事の分量の制約で盛り込めなかったのかと思いますが、理由の説明がないまま「琉球併合の象徴として首里城は同化政策に利用された」と言われても、わけがわかりません。
その姿が炎に包まれ崩れる時、人々は何を想ったのでしょうか。
2019年(令和元年)10月31日
「沖縄のいちばん長い日」と語り継がれてもおかしくない日となりました。
首里城炎上
31日未明、2時40分頃に正殿の火災検知器が反応、またたく間に炎が拡大。北殿、南殿・番所が全焼。南殿の裏の書院・鎖之間、正殿の南にある黄金御殿と二階が焼失、奉神門も一部被災。
そして火元とみられる正殿は全焼、跡形もなく崩落しました。
火の勢いは周辺の住宅街に火の粉が飛ぶ程に強く、避難指示が出たほか、城の隣にある城西小学校では登校を遅らせた程。
その衝撃は、翌日の新聞で一目瞭然です。

1面と最終ページを貫く異例のスタイル。
いつ頃からあるかは定かではないですが、本島の勢力が統一され琉球国(琉球王国)となって以降、王府の居城となっていた城です。
首里城の歴史の中で、焼失は4回。
1453年、権力争いから発生した「志魯・布里の乱」。
1660年と1709年は火災。
1945年は沖縄戦。
沖縄戦のあとは琉球大学となりましたが、復帰前の1958年(昭和33年)に城郭の外にある守礼門が復元されました。
琉球大学の移転後、本格的な復元工事に着手。1992年に正殿復元という節目を迎えました。その後もあちこち工事が進められ、2019年1月に完了したばかりでした。
復元が実現できたのは、資料も戦争で焼失した状態からわずかな手がかりを元にした調査と研究、予算、技術者、そして世間を動かした県民の思いの結晶です。
建物は復元だとしても(それ故に世界遺産に登録されてるのは遺構の城跡部分)、観光資源として、そして心の拠り所、誇り、自慢でもあったわけです。たとえ正殿を含む有料部分に入ったことがないとしても。
沖縄戦で崩壊した城と、復元された城を見た人もいます。
沖縄戦経験世代でなくても、衝撃です。
負った傷は大きい。
材料の調達など、再建へのハードルはあるでしょう。相当な期間を要するかもしれません。
でも、再建はできるでしょう。
平成復元で得た知見や記録が生きるはずです。
すぐ立ち上がれるかはわかりません。
でも、いつでも立ち上がれるように。
モンパチの「琉球愛歌」が元になったFC琉球のチャントを流用して、沖縄と県民に力を。
琉球の心
空と海とわれらの心
再建信じ
共に進もう誇りを胸に
15年も経つと、当時の記憶があまりない大学生もいるのだろうね。
沖縄国際大学に米軍のヘリが墜落してから15年。
あまり記憶にない方のために、概要を紹介。
2004年8月13日。14時15分頃、米軍の大型輸送ヘリCH-53D(今普天間にいるCH-53Eの前のモデル)が沖縄国際大学の構内に墜落。墜落時に1号館に接触、壁面が炎上しました。住宅地への米軍機の墜落は、1972年(昭和47年)の復帰後初。
乗員4人のうち3人が負傷しましたが、負傷者はその3人だけで、民間も含めて死者は0でした。しかし、死者0は本当に奇跡的です。墜落直前に破片が落下したほか、破片が家のドアを突き破り、外れたローターが駐車中のバイクを直撃しました。
沖縄ではこの事故で大騒ぎでしたが、世間はアテネオリンピックが始まったばかりに加えて、近鉄・オリックス合併のプロ野球再編騒動の真っ只中(しかもこの日に巨人で一場裏金問題)で、ニュースとしてはかき消されてしまいました。
あれから15年。
事故の前から普天間飛行場(普天間基地)を移す動きはありますが、もつれ、遅れて、今も埋め立てている段階です。
普天間に常駐する機体の事故は、この墜落のあとも起きてます。名護でのMV-22大破、東村高江でのCH-53Eの不時着炎上、普天間第二小学校へのCH-53Eの窓落下。昔からのトラブルに由来する感情的なものもあってか、宜野湾市の緑ヶ丘保育園の屋根で部品が見つかった件のように、本当に米軍機によるものか判明していないものでさえ「米軍機の事故」と喧伝されてます。Wikipediaでも、ほかの米軍機の事故は「事故」なのに、沖国の墜落事故は「事件」と書かれています。
※緑ヶ丘保育園の件に関しては、保育園の運営母体の教会の関係者が基地反対運動に積極的な点にも留意。ただし保育園に対する誹謗中傷はいけません。現状は「本当にヘリから落下したのか、自作自演か、第三者のいたずらか」も判明してないので。
負担軽減と安全保障。どのようにバランスをとるのか。
政府の辺野古で進めるパワープレイだけでも、沖縄の基地反対派が言う「辺野古新基地反対・普天間即時撤去・オスプレイ配備撤回」だけでも、解決の道は遠いように感じます(デニー知事は対話重視というけど、オール沖縄は「辺野古中止・普天間即時撤去」の結論以外は認めないように見えます)。
ですが、2004年と違うのは、国民・市民レベルでの沖縄への風当たりの強さ。憎悪やヘイトスピーチともとられる言動がみられます。一方で、基地反対派やそれに同調する人々にも過激な物言いがみられます。
普天間基地を辺野古に移すのを容認している立場ですが、現状は憂慮ばかり。
\セブンイレブン沖縄上陸/
7月11日という「狙った日」に最初の14店が開業です。
このうち、那覇市内7店中5店舗をはしごしてみました。
【那覇松山1丁目店】
ホテルの構想が浮上して沖縄再開発シリーズの対象物件から転じて、セブンの沖縄オフィスつきの建物となった場所。TVの全国ニュースでよく出ていた店はここ。TBSのあさチャンは生中継もやってました。
店内は広めだけどイートインなし。
【那覇国際通りOTS店】
県内の旅行業大手・沖縄ツーリスト(OTS)の本店ビル1階を利用。
通りの植栽と合わさって、「セブンが沖縄に来た」を実感しやすい光景に。
【国際通り松尾1丁目店】
ホテルの1階を利用。店内は結構コンパクト。
【新天地浮島通店】
まちぐゎーとセブンの組み合わせという斬新さ。浮島通りにあるんだけど、店の名前は「浮島通」。はーや。
【那覇新都心公園前店】
夜になっちゃいましたが。メインプレイスの裏、以前は服屋でした。
この店、夜にもかかわらず行列ができてました。店に入るまで約15分、レジ列で約15分。
那覇ではこのほか小禄地区に2店舗。
お祭り状態はいつまで続くのか。
正気の沙汰とは思えません。本当にどうにかならんものかね。
6月23日。沖縄戦での組織的戦闘が終わったとされる「慰霊の日」に実施される、沖縄戦全戦没者追悼式。
「また」総理あいさつでヤジが飛びました。記憶にある限り、5年連続。
肌感覚?(耳感覚?)だけど、2019年は例年以上に酷い。
「帰れ!」
「コラ!」
「ウソつき!」
「来る資格はない!」
「今すぐ止めろ!」
「辺野古新基地反対!」
多くてすべての文言を追いきれません。
「くるさりんどー」というヤジまであったとか。このウチナーグチ、訳すると「殺すぞ」「殺してやる」。とても慰霊の場で言う発言ではありませんが、沖縄テレビのライブ配信の録画を再確認すると「それっぽく聞こえるヤジはあるが、確信には至らない」ということで保留。
さらに、皮肉を効かせようと狙ったヤジがあったのか、一部の参列者から笑い声まで聞こえました。
文句のひとつふたつ言いたいのはわかりますよ。
でも、追悼式の会場でやることではないです。知事の平和宣言の時の同意?の指笛共々見苦しいです。品位が疑われます。
広島の原爆追悼式で、式典をやってる時のデモが問題になってるけど、広島は会場の周辺なのに対して、沖縄は追悼式の会場内でヤジですから、広島よりもたちが悪い。
「辺野古新基地反対」とか、基地問題を全国で考えてほしいと訴えるにしても、言葉選びや場面なども含めて、相手がどう受け取るかを考えてアピールしないと、支持を得るどころか離れていき、敵にもなってしまいます。そうして生まれた嫌悪感や敵意の対象は、基地反対派だけでなく、基地を容認してる沖縄県民にも向きかねないです。
実際、基地を容認してる自分も、ここで“沖縄そのものを攻撃・排斥対象にした”コメントをくらってますし、Twitterでは惨殺死体画像つきで叩きリプが来たこともあります。
(注:この排斥コメントやTwitterでのリプ、なぜか基地容認の人々を狙ってくるので、反対派がネトウヨになりすましてる可能性も否定できない)
これでは、いつまで経っても現状の改善は遠いです。